雑記(2)

平成を少し振り返る.平成を振り返る原稿のために,とりあえず個人的記憶をメモしておく*1

平成元年は小学校3年生になる年であった.記憶が正しければ,この年にファミコンを買ってもらったと思う.その辺の個人的記憶をたどれば,平成3年にスーパーファミコンを買ってもらった.ゲームソフトはそんなに買っておらず,確かスーパーマリオワールドFFIVナイトガンダム物語 大いなる遺産,ロマンシング・サ・ガFFVの5本で全部だったはずだ*2

そうなった主たる理由は,平成4年にNECのPC-9801FX/U2を買ってもらったことにある.中学校を卒業する平成8年3月までは主に98のゲームで遊んだ.平成5年の冬に120MBのハードディスク*3.ターミネータを外すことは結局なかったを手に入れて使ったことで大変な衝撃を受けたことを覚えている.高校に入学する平成8年の3月にWindows95の動くIBMのデスクトップPCを買った.型番は忘れたがIBMのAptivaのミニタワーPCでATI 3D RAGEを搭載していた.

大学に入学したのは平成12年4月であった.その前年,平成11年に名古屋の予備校に通う都合でNTTドコモの携帯電話(mova)を持つことになったが,iモード端末ではなかった.大学進学にともない,J-PHONEJ-SKY対応端末を買った.J-PHONEを選んだのは,周りの友人がJ-PHONEにするということで,スカイメールを使うためだった.パーソナルネットワークでの外部性が働いた選択行動であったと振り返ることができる.このときJ-D02という三菱電機製のフリップ付き端末を選択したのだが,この年にNTTドコモから出たNEC製端末のN502iという折りたたみ型端末が大ヒットとなり,世の中の携帯電話端末の主流は折りたたみ型になっていった.それとカラー液晶化が進む流れもあり,平成12年の秋に出たN502itというTFT液晶端末に平成13年の初頭に乗り換えた*4.同じころ,J-PHONEからはJ-SH04というデジタルカメラ搭載端末が登場していたが*5,その時点での僕にはカラー×カメラよりもカラー×折りたたみ型(大型液晶)のほうに魅力があった.

パソコンのほうに話を戻しておくと,大学進学した平成12年に秋葉原でパーツを揃えていわゆる自作PCの世界に入った.僕はこのときAthlonを選択しており,自分の自作PCはこのあともずっとAMDのCPUを選び続けた.このときに入れたOSはWindows 98SEだったが,翌平成13年にWindows XPが出る直前にWindows 2000を手に入れて,そのあとXPは発売後すぐに買った.この辺の事情は今となっては時効だろうがいろいろあれな話である.自作PCをいろいろいじっていたのは大学3年になる平成14年ごろまでだったように記憶している.平成14年に東芝Libretto L5が出て型落ちしたL3を買い,それを平成15〜16年のどこかでまだIBMが作っていたThinkPad T42を買うまで使っていた.

平成14年以降に自作PCからノートPCにお金をかけるようになったのは,時代の流れもあるが自分の置かれた状況の影響が大きい.この辺はあまりうまく判断できない.平成14年から大学3年になり,どうしても大学のコンピュータ室でSASを使った分析をして,それを反映させたレジュメを作ったり,レポートを書いたりすることが多くなった.その頃のSASの出力はコピー&ペーストして使うには適さなかった記憶があり,分析結果をその場で見ながら図表を作ったりするためにノートPCをコンピュータ室に持ち込んで作業するほうが効率的だった.平成16年から大学院生になったが,特にM2になった平成17年ごろからはほぼ自宅で作業をすることがなくなってノートPCを主にするようになった.

ハードウェアの話ばかり書いているが,インターネット環境の変化もこの時期は大きい.平成12年春の大学進学後に一人暮らしを始めた部屋ではダイヤルアップ接続をしてインターネットを利用していた.当時は23時から朝8時までアクセスポイント番号に対する電話料金が月額固定になるテレホーダイ*6というNTTのサービスを使うのが主流で,夜更かし当たり前という生活になった.平成13年の夏頃に転居したがちょうどその頃,Yahoo! BBというADSLサービスが始まった*7.ダイヤルアップでは56kbpsが上限だったのに,Yahoo! BBはベストエフォートの8Mbpsをうたっており,さらに定額制の常時接続であった*8.当然のようにこれに飛びついて申し込みをしたが,全然開通しないという問題が発生した.これはこの当時のあるあるであった*9.そして結果的に待ちきれなくなったときに別の会社のDSLサービスに申し込みをしたところ,先に進んでいないように思えていたYahoo! BBの工事が途中まで進んでいるために別の会社のDSLサービスの工事を開始できないという問題がさらに生じた.こういったことは「回線掴み」と呼ばれていた*10.仕方ないのでNTT東日本に対して「同一住居での引っ越し」という形での手続きを申請し,「回線掴み」をリセットしてから別の会社(ODN)のDSLサービスを申請したらすぐに開通した.これは1.5Mbpsだったと思うが,速度が上がるだけでなく常時接続になることで,ダイヤルアップ接続とは全く異なるインターネット経験につながった.

ダイヤルアップからDSLに変えたときの変化は大変大きなものだった.第1にナローバンドからブロードバンドへの転換という部分が挙げられる.ダイヤルアップ時代は画像表示に早くても数秒かかるのが当たり前で,インターネットといえばテキストという時代であった.それが「ブロードバンド」化されることで,テキストと画像の世界が広がったという印象がある.このころ「ブロードバンド」という言葉が使われていたが,ナロー-ブロードは相対的なものであり,カテゴリカルな表現をするのはあまり適当ではないだろう.FTTHが当たり前になったあたりでインターネットはテキスト・画像・映像の世界に入っていった感はあり,この部分での世界の広がりは令和の時代も進んでいくことになるだろう.

もう1つの変化は定額常時接続化である.これ以前はインターネットに「つなぐ/切る」,インターネットを「始める/やめる」というオンオフの感覚が明確に存在していたように思う.それが定額常時接続化されることで,PCは「常にインターネットにつながっている」ことが当たり前となった.とはいえ,前述のようなオンオフの感覚があっさりと消失したかと言われれば微妙なところである.それはつまり,第1にPC内部でのデータ転送速度に比べてインターネットを通じたデータ転送速度には遅延が大きくシームレスなものとは言いがたかったこと,第2に固定されたPCを「使う/やめる」というオンオフやインターネットの使えるPCのある場所に「行く/離れる」というオンオフがなくなったわけではなかったことによる.このあたりも結局モバイル化やIoTとの関係が深い.また,「ギガがねぇ」*11といった言葉に代表される制約が再び浮上しており,そして最近はその制約からの解放がトレンドとなりつつあるようだ.

モバイル化の話に移ったので再び携帯電話関係のことを思い出しておく.先に書いたとおり,平成13年にN502itに乗り換えた.これはいわゆる2Gの携帯電話である.このあたりのことについては全体的なことをまず記録しておく.NTTドコモは3GサービスとしてFOMAの試験サービスを平成13年5月30日に開始して*12,同年10月1日から正式サービスを開始した*13.しかしこれはあまりうまく普及が進まず,平成15年12月に900iシリーズが発表されて*14,平成16年中盤以降に「ドライブがかかってくる」と振り返られている*15.これに対して3Gへの移行がうまく進んでいたといわれるのがauであり,平成14年4月に開始したCDMA2000 1xは平成15年4月にはユーザ数700万人を達成している*16

ここまでは当時の状況説明であるわけだが,こうした中で個人的な携帯電話利用はどうなっていったか.まず,こうした状況に乗っかるように,平成14年12月に発売されたA5303Hをたぶん平成15年初旬に使い始めた.要するに3Gサービスへの移行に際してNTTドコモからauに乗り換えたのである.この頃始まったサービスには「着うた」があり,そういったサービスを使っていれば3Gを有効利用するような形だったかもしれないが,電子メール利用が2G時代と変わらず利用の中心であり,ウェブブラウジングが多少増えたかもしれない程度の違いしかなかったように記憶している.僕の買ったA5303Hは2インチ132×176ドットのメインディスプレイで,そんなもんだろうとも思う.その後もあまり大幅な使い方の変化も利用経験の変化もないが,携帯電話の機種を変えている.まず,平成17年の夏頃にNTTドコモN901iSを使い始めた.この機種は2.5インチ240×345ドットのメインディスプレイで解像度はかなり上がってきた.その次に使ったのはauCDMA 1X WIN対応機種W63CA(3.1インチ240×800ドット)で,平成20年の秋のことである.この間に起きた大きな出来事は平成18年10月24日の携帯電話MNP制度の開始であり*17,これを利用してauへの変更を行った.

上記の利用経歴はいわゆる「ガラケー」の話だが,スマートフォンの話題はこの時期に徐々に出てきている.個人的な関わりでいえば,平成17年12月にウィルコムからWindows Mobileを搭載したPDA+PHSであるW-ZERO3 (WS003SH)が発売されて*18,平成18年にはこれを使った研究プロジェクトが始まった.米国では平成19年1月に初代iPhoneが発表され*19,同年6月に発売された.後継機として平成20年7月に発売されたiPhone 3Gは日本でもソフトバンク回線で利用できる端末として売り出された*20.また,2008年(平成20年)米国大統領選挙の中でBarack Obama米大統領がRIM社のBlackberryを活用していたことが喧伝された*21

個人的なスマートフォン利用についてはそんなに早くはなかったように思う.平成21年ごろにiPod touchとPocket Wi-Fiを持ち始めて,しばらくはそれでよいと考えていた.平成22年にはiPod touchWiMAXモバイルルータに切り替えた.平成22年にiPadが発売されて,仕事の関係で使うことになり,これまたモバイルルータとの組み合わせで使用した.とはいえスマートフォンを全く使わないのもいかがなものかと思い,iOS端末はそれなりに使っていたことからAndroidを使うことにした.それでNTTドコモに戻してXperia rayを平成23年に使い始めた.転機は平成24年秋に発売されたiPhone 5で,LTEへの対応とauテザリングサービス開始が決定打となって,auiPhone 5を新規契約した.それ以降はiPhone 5s,iPhone 6sを発売から1ヶ月遅れくらいで買い,平成30年にiPhone Xsにした.iPhone 5の使用開始以降,NTTドコモの回線はもっていたがどんどん使用頻度が下がり,データ通信の契約を切って音声通話回線のみにして格安スマホに入れていた.iPad Proのcellular版を平成30年秋に購入したときにデータSIMを契約したので,そのついでにデータシェアでSIMを1枚増やし,ASUS Zenfone ZOOM Sを買ってNTTドコモの音声回線とのデュアルSIMで使い始めたのが平成31年春の話である.

書いていてだんだん疲れてきたので,この辺で止めておく.書きながら「平成」の年といろいろなことを紐付ける作業をしたり,出来事の年を確認したりできた.